第1 精神障害の労災における治ゆ(症状固定)等について
長時間残業や上司からのパワハラ等、職場が原因でうつ病等の精神障害にり患した場合、労災申請をして、労災認定を受けることで、労災保険を受給できます。
労災保険には、通院の治療にかかる療養補償給付や、病気による休職中の休業補償給付等があります1。
労災保険の療養補償給付や休業補償給付は、治ゆ(症状固定)するまで支給されます2。治ゆ(症状固定)までという条件があることから、既に治ゆ(症状固定)したとの理由で、労基署が労災保険の給付を打ち切ることもあります。
そこで、治ゆ(症状固定)とはどういう状態なのかが問題となります。
精神障害の労災の認定基準3や専門検討会報告書4においても述べられていますが、労働保険審査会の裁決では、次のように考えられています。
① 認定基準策定の根拠となった報告書は、要旨、「労災保険制度における治癒(症状固定)とは、「急性症状が消退し慢性症状は持続しても医療効果が期待し得なくなった場合」と判断されることから、就労可能な状態でなくても治癒の状態にある場合もある」としている。
② 一方、報告書は、「通常の就労が可能な状態で、治療により精神障害の症状が現れなくなった又は安定した状態を示す「寛解」との診断がなされている場合には、労災保険制度における治癒(症状固定)の状態にあると考えてよい。」と述べている。認定基準もおおむね同旨の事項を定めている。
③ 結論として、治療により精神障害の症状が現れなくなった又は安定した状態を示すという要件のうち、寛解の2つ目の要件である後者は単に安定しているというにとどまらず、症状が現れなくなったといえないまでも、相当程度軽減している状態で安定していたことを要するものと解するのが相当である。
治ゆ(症状固定)についての労働保険審査会の裁決の事例は、精神障害の労災における治ゆ(症状固定)、寛解に関する労働保険審査会の裁決についてでご紹介いたしました。
今般は、治ゆ(症状固定)についての裁判例をご紹介いたします。
第2 令和6年1月31日東京高等裁判所判決労働判例1316号22頁
1 結論
本件判決は、被災者が発病した精神障害が治ゆ(症状固定)していなかったと認めて、治ゆ(症状固定)を理由としてなされた休業補償給付を支給しない旨の決定を取り消しました。
2 治ゆ(症状固定)の考え方
本件判決は、「労災保険法上の休業補償給付が支給されるには、業務上の疾病の療養のために労働することができないこと、つまり当該疾病が治癒(症状固定)に至っていないことを要するところ(労災保険法12条の8第1項2号、14条1項、労基法76条、77条)、この治癒(症状固定)とは、完治を意味するものではなく、その症状が安定し、疾病が固定した状態にあるものをいい、急性症状が消退し、慢性症状は持続していても、医学上一般に認められた治療を行ってもその効果が期待し得ない状態となった場合には、治癒(症状固定)したというべきである。」と述べています。
3 被災者が発病した精神障害について
本件判決では、被災者が発病した精神障害が、双極性障害か、軽症うつ病エピソードかが争点となっていました。
というのも、労働基準監督署長は、被災者が軽症うつ病エピソードを発病しており、それを前提とした治療を約10年9か月もの長期にわたり受けていたにもかかわらず、主たる症状等に変化が見られず、慢性化してきたものであること等から、平成31年3月31日当時に治ゆ(症状固定)していたと認められると主張していました。
これに対して、被災者は、被災者が発病したのが軽症うつ病エピソードではなく双極性障害であったのに、平成31年3月31日当時、軽症うつ病エピソードを前提とした治療しか受けていなかったこと等から、治ゆ(症状固定)していなかったと認められると主張していました。
本件判決の事案では、被災者がライブに出かけて徹夜で語り明かしたり、前勤務先との係争に心血を注いだりするといった出来事が複数認められること等から被災者が双極性障害を発病していたと結論付ける医師の意見書等が証拠として提出されていました。
本件判決は、そのような意見書等を信用できるとして、被災者が発病してたのが双極性障害であったと認めるのが相当であると判断しました。
なお、うつ病エピソードにも、双極性障害にも、うつ状態の症状があります。うつ状態は、調子が悪い状態です。
ですが、双極性障害には、気分が高揚し、仕事がはかどり、いろいろなアイディアが湧いてきて調子が良い5というような状態等の躁状態の症状もあります。被災者がライブに出かけて徹夜で語り明かしたり、前勤務先との係争に心血を注いだりするといった出来事は、躁状態の出来事だと理解できます。
治療の目標や、治療に用いる薬が違うことから、うつ病エピソードと双極性障害を区別する必要性があるとされています6。
4 治ゆ(症状固定)していたか否か
本件判決は、双極性障害に対する治療としては不適当な治療がなされていたことや、双極性障害を前提とした治療を受けたところ病状が顕著に改善していることを踏まえて、被災者が、「平成31年3月31日当時、双極性障害を前提とした適切な治療を受けておらず、令和元年9月以降、適切な治療を受けた結果、その病状の改善がみられているのであるから、同日時点で、医学上一般に認められた治療を行ってもその効果が期待し得ない状態となったといえないことは明らかである。」と判断しました。
第3 さいごに
精神障害の治ゆ(症状固定)については、休業補償給付等の打切りの場面だけではなく、過労うつや過労自死(自殺)における発病時期の問題として、問題となることもあります。
精神障害の労災における治ゆ(症状固定)の問題は、弁護士にご相談ください。当事務所もご相談をお受けしています。
- 労災認定を受けた場合の補償の内容 ↩︎
- 労災請求や会社に対する民事賠償請求における精神障害の治ゆ(症状固定)について ↩︎
- https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/001140929.pdf ↩︎
- https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/001139689.pdf ↩︎
- 加藤忠史.双極性障害第2版.株式会社筑摩書房,2019.6,p.43‐44 ↩︎
- 加藤忠史.双極性障害第2版.株式会社筑摩書房,2019.6,p.45‐48 ↩︎