ノルマが達成できなかったことや転勤を理由として被災者が発病した精神障害の労災が認められた事例

第1 はじめに

 精神障害の労災の認定基準1によれば、労災として認めてもらうためには、原則として、次の3つの要件を満たす必要があります。

①うつ病や適応障害等の対象となる精神障害2を発病していること

②発病前おおむね6か月の間に、長時間の残業、パワハラ、セクハラ等の業務による強い心理的負荷が認められること

③業務以外の心理的負荷及び個体側要因により精神障害を発病したとは認められないこと

 上記②の業務による心理的負荷について、認定基準の業務による心理的負荷評価表では、「達成困難なノルマを課された・対応した・達成できなかった」ことや、「転勤・配置転換等があった」ことも、心理的負荷を与える具体的出来事として、挙げられています。

 以下では、ノルマや転勤による心理的負荷によって精神障害を発病したと判断された労働保険審査会の判断を紹介いたします。

第2 平成29年労第207号3

1 事案の概要

 被災者は、平成〇年〇月〇日、財団に雇用され、某事業所において、内勤業務等に従事していた。

 被災者は、平成〇年〇月〇日以降、慣れない営業の仕事を行うようになったことで次第に体調が悪くなっていた。

 被災者は、平成〇年〇月〇日、突然、メールで、他の事業所への異動命令を受けた。被災者は症状が悪化し、就労できなくなったという。

 被災者は、平成〇年〇月〇日、クリニックを受診し、不安障害と診断された。

 被災者は、平成〇年〇月〇日、他のクリニックに転医し、重度ストレスへの反応及び適応障害と診断された。

 被災者は、平成〇年〇月〇日、さらに転医し、うつ病エピソードと診断された。

 被災者は、労働基準監督署長に対して、療養補償給付の請求をした。

 労働基準監督署長は、療養補償給付を支給しない旨の処分をした。

 被災者は、労働者災害補償保険審査官に対して、審査請求をした。審査官は、これを棄却する旨の決定をした。

 被災者は、再審査請求をした。

2 労働保険審査会の判断4

⑴ ノルマについて

ア 労働保険審査会は、支局長が、要旨、入社以来内勤職しか経験したことのない女性職員にとっては月〇名の獲得でさえも相当ハードルが高い厳しい目標である、本格的な営業活動から〇年で結果が出せるはずがない等と供述していると述べています。

イ その上で、労働保険審査会は、支局長の供述に基づくと、被災者に課されていたノルマが、被災者のように、これまで内勤業務のみに従事していた労働者にとって極めて厳しいものであったと推認されると述べています5

ウ 労働保険審査会は、被災者の考課表や人事制度説明資料に基づいて、被災者の実際の獲得実績や目標達成率を認定し、被災者の考課が最下位とされていること等も認定し、被災者にとって多大な心理的負荷となったと考えられると述べています。

 また、被災者の処遇についてもみて、被災者にノルマを達成できなかったことによるペナルティが課せられていたと述べています。

エ 労働保険審査会は、結論として、財団の課したノルマは、被災者のように、長年内勤業務に従事し、営業経験のない労働者にとっては、達成困難なノルマであったとみるのが相当であると判断しています。

 その上で、労働保険審査会は、被災者がノルマを達成できずに賞与を大幅に減額されている事実に鑑みると、「ノルマが達成できなかった」に該当し、心理的負荷の強度が「中」であると判断しています。

⑵ 転勤について

ア 労働保険審査会は、支局長等の供述から、新人事制度導入後に転居を伴う元一般職の異動の前例はないなかで、事業場が転勤命令を発令するに際し、転居が可能であるか否か等の事前のヒアリングを一切していないものと考えられると述べています。

イ その上で、労働保険審査会は、そのような経緯に鑑みると、被災者が、営業成績不振によるペナルティとして遠隔地への転勤を命じられた可能性も否定できないと述べています。

ウ 労働保険審査会は、一方で、被災者の事情について、被災者が物心両面において両親を支えていかなければならない状態にあったと推認し得ると述べています。

 また、新人事制度においては、独身である被災者には単身赴任手当等が支給されず、転勤命令が履行されると、被災者が、経済面においても著しい不利益となる可能性が高く、両親への支援も困難になると考えられると述べています。

エ 労働保険審査会は、結論として、転勤命令が、被災者の家族の事情等について全く配慮されることなく、営業成績不振を理由として発令されたものとみるのが相当であり、転勤命令の発令自体が、権利の濫用とみなされる可能性が高いものであると判断しています。

 また、労働保険審査会は、転勤命令が実際には撤回され、被災者が転居をする事態には至らなかったものの、転勤命令を受けたことによる被災者の不安感が大きかったものと容易に推認し得ると述べています。

 そして、労働保険審査会は、「転勤をした」を類推して、心理的負荷の強度が「中」と判断しています。

⑶ 全体評価について

 労働保険審査会は、「ノルマを達成できなかった」と「転勤をした」という2つの出来事が関連して心理的負荷を一層増強する方向に作用したといえることから、全体評価が「強」であると判断しました。

第3 さいごに 

 1点目に、本件では、支局長の陳述書が提出されているようです。

 被災者(の代理人)が、労災請求前等に、支局長の協力を得て、被災者に課されたノルマの実態、達成の難易度等を調査し、陳述書を証拠として提出した可能性があります(転勤についての判断をみると、同僚の協力者もいた可能性はあります)。

 実態に反して、職場の同僚等がノルマを達成することが容易であった等と述べると、労働基準監督署長等が心理的負荷の強度の判断を誤る可能性があります。

 業務の過重性の実態の把握、立証のためにも、労災請求前から十分に調査することが重要です。精神障害の労災の労災請求の手続の流れもご覧ください。

 2点目に、本件ではノルマや転勤の心理的負荷の強度が「中」と判断されていることを考える必要があると思われます。

 というのも、ノルマについて、被災者のように、長年内勤業務に従事し、営業経験のない労働者にとっては、達成困難なノルマであったとされ、支局長も「本格的な営業活動から〇年で結果が出せるはずがない」等と供述し、大幅な賞与の減額の事実も認定されていても、心理的負荷の強度が「中」と判断されています。

 転勤についても、転勤命令自体が権利の濫用とみなされる可能性が高いとされ、被災者の事情も踏まえて転勤命令を受けたことによる不安感が大きかったものと容易に推認し得るまでと述べられていても、心理的負荷の強度が「中」と判断されています。

 本件では、心理的負荷の強度が「中」の出来事が2つあり、全体評価として心理的負荷の強度が「強」と判断され、労災と判断されています。

 ですが、労災の原則的な要件の一つは、発病前おおむね6か月の間に、長時間の残業、パワハラ、セクハラ等の業務による強い心理的負荷が認められることです(上記要件②)。

 ですので、例えば本件で、ノルマを達成できなかった後で、また、転勤命令を受ける前に精神障害を発病していた場合、発病前には心理的負荷の強度が「中」の具体的出来事が1つしかないので、労災と認定されなかった可能性があります。

 特に被災者が自死(自殺)して通院歴がない場合には、発病時期を慎重に検討する必要があります。

 のみならず、本件のような場合でも、十分に検討する必要があります。本件では、転勤命令後にクリニックを受診しているようですが、転勤命令以前から体調が悪くなっていた経緯があるようです。ですので、転勤命令以前から精神障害を発病していたか否か(以前から発病していたと認定されないか)の検討が必要です。

 また、本件では、特に被災者に代理人が就いていたのだとすると、長時間労働等の他の出来事による心理的負荷がなかったか、あったとしても立証できなかった可能性がありますが、言うまでもなく、他にも被災者が心理的負荷を受けた出来事がなかったかを検討することも重要です。

 例えば達成困難なノルマを達成できなかった場合、ノルマを達成するために長時間労働や連続勤務に従事していなかったか、厳しい職場環境で上司からパワーハラスメントを受けていなかったか、取引先等との間でトラブルがなかったか等も検討する必要があります。

 達成困難なノルマを達成できなかったことや、転勤によるうつ病や適応障害等の精神障害や、過労自死(自殺)の労災申請は、弁護士にご相談ください。

 当事務所もご相談をお受けしています。労災認定による適正な補償を受けられるよう、ご協力いたします。

     

    1. https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/001140929.pdf ↩︎
    2. 精神障害の労災の対象となる精神障害について ↩︎
    3. https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/shinsa/roudou/saiketu-youshi/dl/29rou207.pdf ↩︎
    4. なお、精神障害の労災の認定基準の改正前の「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(2011年12月26日付け基発1226第1号)を前提に判断しています。 ↩︎
    5. 被災者のようにこれまで内勤業務のみに従事していた労働者にとって極めて厳しいものであったとして、被災者ではなく、被災者のような労働者にとってと述べているのは、心理的負荷の強度の評価に当たって、同種の労働者の観点から評価することとなっているからではないかと思われます。 ↩︎