第1 はじめに
上司による「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた。」といった具体的出来事による心理的負荷の評価が「強」と評価され、労働保険審査会が、労働基準監督署長による休業補償給付を支給しない旨の決定を取り消した事例を紹介いたします。
事案の概要からすると、現行の精神障害の労災の認定基準1では、「上司等から、身体的攻撃、精神的攻撃等のパワーハラスメントを受けた。」の具体的出来事による心理的負荷の評価の程度が争点となったと思います。
第2 平成31年労第103号2
1 事案の概要
請求人は、2016年7月15日、派遣労働者として、派遣先において、制御システムの調整等の計装業務に従事していた。
請求人は、2017年1月17日、医療機関を受診し、適応障害と診断された。
請求人は、労働基準監督署長に対して、休業補償給付を請求した。
労働基準監督署長は、休業補償給付を支給しない旨の処分をした。
請求人は、休業補償給付を支給しない旨の処分を不服として、同処分の取消しを求めた。
請求人は、労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をした。
労働者災害補償保険審査官は、審査請求を棄却する旨の決定をした。
請求人は、審査請求棄却の決定を不服として、再審査請求をした。
なお、労災保険不支給の決定に対する不服申し立てについては、過労うつ・過労自死の労災保険の不服申立手続についてをご覧ください。
2 労働保険審査会の判断
労働保険審査会は、以下のとおり、精神障害の発病の原因が上司によるパワーハラスメントである(業務起因性がある)と判断しました3。
⑴ 発病及び発病時期について
請求人は、2017年1月頃に、適応障害を発病した。
⑵ 請求人が派遣先で計装業務に従事するに至った経緯について
請求人は、派遣元に雇用されるまで実家で農作物の小売等の業務に従事していたため、組織で働く経験に乏しい上、計装業務の実務経験はなく、当該業務を某所で1年学んだにとどまる。
請求人は、派遣元において雇用後2週間ほど社内教育を受け、派遣先においても派遣後1週間ほどの教育を受けたが、専門的な技術教育は受けていなかった。
他の人の証言からしても、請求人が的確な業務を行うためには、十分に研修が必要であった。
⑶ 2016年7月中旬以降の上司から受けた執拗な嫌がらせについて
ア 請求人は、2016年7月に出張先のホテルに機材を送る際に、送り状の書き方に関し、上司から、「なんで勝手に書いたのか。それではホテルに盗まれる。」と罵倒され、対処の仕方を聞いても教えてもらえなかったと述べている。
罵倒した上司(以下、罵倒した上司といいます。)も、基本的にそのとおりであったと認めている。
イ 請求人は、2016年12月、工場に出張した際、他の上司から「請求人はまだ経験が浅いから後ろで話を聞いていればよい。」という指示に従って、罵倒した上司の後ろに立って朝礼に参加していたところ、罵倒した上司から、侮蔑する表現を用いて叱責されたと述べている。
罵倒した上司も、そのニュアンスに近いことを言ったと認めている。
ウ 他の上司は、罵倒した上司が、2017年1月16日に、請求人に対して、客から要求があった作業手順書の修正を請求人が他の上司から許可を得て行っていたことについて、請求人の行動に問題がなかったのに、「勝手にやるな。なんで俺を通さないんだ。(略)お前は仕事を受けられる立場じゃない。俺に許可を取らずに仕事を受けやがって。改ざんじゃねーか。不正じゃねーか。」等の言葉を用いて、自分の怒りに任せて感情的になり、語気強く怒号のような声で怒鳴りつけたと述べている。
また、他の上司は、罵倒した上司の怒りが常軌を逸しており、人格否定をしていると捉えられてもおかしくない状況にあったことから、罵倒した上司を注意して、行為を止めさせたと述べている。
エ 請求人は、2016年8月頃、パワーハラスメントについて、会社企業倫理社内相談窓口に相談した。その結果、請求人は、秋口くらいから罵倒した上司とは離れて仕事をしていた。
しかし、罵倒した上司は、その後再び出張等で請求人と一緒に仕事をすることとなった際に、請求人に対して、請求人の人格を否定する等の発言を含む言動を繰り返した。
オ 上記の事情等から、労働保険審査会は、請求人が、罵倒した上司から、業務に関する事柄についてではあるものの、頻繁に人格を否定する等の発言を含む言動により、厳しく叱責をされていたと認定した。
カ 請求人に対して十分な研修が必要であったのにこれが行われなかったことも踏まえると、罵倒した上司の言動は、その内容と態様が業務指導の範囲を逸脱しており、人格を否定するような言動が含まれ、かつ、これが執拗に行われたというべきである。
これは、「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」に当てはめて評価すると、心理的負荷の総合評価の程度は「強」と判断するのが相当である。
⑷ 結論
請求人の発病した適応障害は業務上の事由によるものと認められるから、休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
第3 さいごに
上記の事例では、罵倒をした上司もある程度事実関係を認めており、他の職員も、罵倒をした上司が頻繁に請求人を厳しく叱責していた等と述べています。
請求人が、労災請求の時点で、同僚の目撃証言等の証拠をどの程度収集していたのかはわかりません。
一般論としては、仮に同僚の目撃証言等の証拠がなかった場合、労基署の調査官の聴き取りに対して上記の事例のような証言が出てこなければ、罵倒をした上司が請求人を厳しく叱責していた事実が認定されず、心理的負荷を与える事実が認められなかった可能性があります。
心理的負荷を与える事実が認められないと、不支給決定が取り消されることがなかったと思います。
パワーハラスメントによる精神障害の発病や自死(自殺)の労災請求でも、証拠を集めることが極めて重要です。
また、上記の事例では、請求人に対して十分な研修が必要であったのにこれが行われなかったことも重視されているように思います。
現行の精神障害の労災の認定基準では、心理的負荷の強度の評価に当たって、「同種の労働者が一般的にその出来事及び出来事後の状況をどう受け止めるかという観点から評価する。」とされています4。また、専門検討会報告書では、「例えば、新規に採用され、従事する業務に何ら経験を有していなかった労働者が精神障害を発病した場合には、ここでいう「同種の労働者」としては、当該労働者と同様に、業務経験のない新規採用者を想定することになる。」と述べられています5。
認定基準及び専門検討会報告書によれば、出来事等の心理的負荷を評価する際に、本人を基準とするわけではないけれども、どういう経験等を有する労働者であるかは十分に検討する必要があるといえます。
パワーハラスメントによる心理的負荷の総合評価の視点からも6、叱責等の言動に至る経緯や状況等も総合評価の視点の一つであることから、どのような経験等を有する労働者が、どのような経験等を有する上司からパワーハラスメントを受けたのかを考えることが重要といえます。
以上のように、パワーハラスメントによる心理的負荷を評価する際には、パワーハラスメントに当たる言動の表現や内容のみならず、被災者の置かれた状況等を十分に検討することが重要です。
パワーハラスメントによる過労うつや過労自死(自殺)は、弁護士にご相談ください。当事務所もご相談をお受けしています。
- https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/001140929.pdf ↩︎
- https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/shinsa/roudou/saiketu-youshi/dl/31rou103.pdf ↩︎
- なお、精神障害の労災の認定基準の改正前の「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(2011年12月26日付け基発1226第1号)を前提に判断しています。 ↩︎
- https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/001140929.pdf ↩︎
- https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/001139689.pdf ↩︎
- https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/001140929.pdf ↩︎