1 はじめに
精神障害の労災認定において、暴行加害者に対する出向命令等によって、暴行加害者が精神疾患を発病したか否かが問題となった事案である、2021年6月28日東京地方裁判所判決労働判例1302号30頁をご紹介します。
ご紹介する理由は、「使用者による人事上の処分に前後して加害者がメンタル不調に陥ったケースになると、これを法的にどう位置づけるかについては、これまで十分に議論はされていない。」、「この問題は、(略)労災保険制度における業務起因性の判断に際しては、被災者側の過失が問われないことから、いっそう微妙な考慮が必要となろう。本判決は、この問題にかかる初めての公刊裁判例と思われる。」からです。[i]。
2 当事者
原告等を説明します。
原告 某鉄道会社に雇用され、指導車掌として就労していた者
被告 国
被告補助参加人 某鉄道株式会社
3 事案の概要
本件の事案は、概ね以下のとおりです。
1997年 原告は、某鉄道株式会社に入社。
2013年7月 以降、原告は、某運輸所所属の車掌として業務に従事した。
2014年1月 以降、原告は、某運輸所所属の指導車掌として業務に従事した。
2016年6月 原告は、車掌長として新幹線に乗務していたところ、同乗した車掌に対して、暴行を行った。同日以降、某鉄道株式会社は、原告に対して、乗車業務を命じることなく、報告書や反省文の作成等を指示した。
2016年6月下旬頃 判決では、この頃に原告が適応障害を発病していたと認定される。
2016年7月 某鉄道株式会社は、原告に対して、訓告書を交付し、訓告処分をした。
訓告書とともに、「事前通知書」と題する書面も交付され、同年8月に、2019年7月までの間、新幹線メンテナンスを行う株式会社への出向を命じる旨通知した。
原告の就労場所は出向先の事務所とされ、原告の業務内容は新幹線列車の車内清掃作業等とされたが、原告は、通知日の翌日にストレス性障害の診断を受け、2018年12月まで病気休職したことから、原告は実際には車内清掃作業等の業務に従事しなかった。
2016年9月 原告は、適応障害の診断を受けた。
2016年12月 原告は、某労働基準監督署長に対して、労災保険法に基づく休業補償給付の請求をした。
2017年1月 原告は、某労働基準監督署長に対して、労災保険法に基づく療養補償給付の請求をした。
2017年5月 某労働基準監督署長は、療養補償給付及び休業補償給付をいずれも不支給とする処分をした。
2017年8月 原告は、不支給処分を不服として審査請求を行った。
2018年2月 某労働者災害補償保険審査官は、審査請求を棄却する決定をした。
2018年3月 原告は、審査請求を棄却する決定を不服として再審査請求を行った。
2019年2月 労働保険審査会は、再審査請求を棄却する裁決をした。
2019年8月 原告は、不支給処分の取消しを求める訴えを提起した。
4 本件における問題
精神障害の労災が認定されるためには、原則として、①対象となる精神障害の発病、②発病前おおむね6か月間の業務による強い心理的負荷が認められること、③業務以外の心理的負荷や個体側の要因によって発病したとは認められないことの3つを満たす必要があります。
本件では、②の発病時期が何時なのかと、業務による強い心理的負荷が認められるかが問題となりました。
以下では、業務による強い心理的負荷が認められるかの裁判所の判断についてご紹介します。
5 裁判所の判断
⑴ 業務による心理的負荷の評価の視点について
まず、裁判所は、業務による心理的負荷の評価の視点として、「本件暴行は、企業秩序に反する悪質なものであり、(略)原告に対しては、上記事情を踏まえ、再発を防止するためにも、適切かつ充実した教育、指導を行う必要性が高かったものというべきである。したがって、本件会社の対応は、上記の充実した教育、指導を施すべき必要性に基づいてされたものであるから、以下、この点を踏まえ、本件会社対応が必要かつ相当なものであったか否かを検討する。」としています。
⑵ 業務による心理的負荷の評価について
その上で、「J営業科長がL助役と共に、原告に対し、時系列等報告書の作成、提出を求めたことに加え、その後L助役の修正の指摘を含めてみても、これらは同人らが本件暴行について事実関係を把握するために業務上必要かつ相当な指導、教育であったとみることができる。」、「同月27日時点においても、引き続き原告に対し事実確認、原因究明、再発防止等の検討の一環として原告が就いていた車掌長という地位について改めて考える機会を与え、指導、教育すべき状況にあったということができるから、本件27日書面作成指示は、業務上必要かつ相当な指導であったというべきである。」等と判断しています。
訓告処分と出向命令については、発病後の出来事であるとした上で、「本件訓告処分について補助参加人に人事権行使における裁量の逸脱濫用があったとは認められない上、本件出向命令によって原告が出向先会社において多大な労力を費やしたなど強い心理的負荷を受けたような出来事があったことを認めるに足りる証拠もないから、本件出向命令について、認定基準別表1の『配置転換があった』(項目21)に該当する余地があるとしても、その心理的負荷が『強』であるということはできず、本件訓告処分及び本件出向命令が原告の心理的負荷に強く影響したと評価することはできないというべきである。」と判示しています。
⑶ 結論
結論として、「本件会社対応について、(略)その心理的負荷の強度は、それぞれ『弱』にとどまり、各出来事を一連の行為として評価し、又は、各出来事を全体として評価した上、原告に最大限有利に判断したとしても、その心理的負荷は『中』にとどまると評価するのが相当である。」と判断しています。
[i] 労働判例1302号33頁